弊社、日野高一は21歳の時、青森市で大工に弟子入りしました。
弟子時代は大工の仕事ばかりでなく、基礎工事や外壁を仕上げる左官工事、屋根にトタンを張る板金工事もやりました。冬場になると、お寺の塔婆などの建具作りもしました。体験したというより師匠にいろんな経験をさせられました。いろんな経験を通して技術を身に付けさせるというのが師匠の教えでした。
ところが、師匠が急に亡くなってしまいました。本来なら、7年間、弟子をして、それから弟子上がりをするのですが、師匠が亡くなってしまったので、25歳で弟子上がりをしました。生活費を稼ぐためと、勉強と、腕を磨くために、東京や大阪、神戸にも働きに出ました、青森でも、何社かの工務店の下請けとして働きました。
その後、結婚を機に個人の日野大工から、小さいながらも「日野建築」の看板を掲げました。現在の日野建ホームに通じる第一歩です。
日野建築設立当初は、同じく創業したばかりの地元の住宅会社から声をかけられ、その後、7〜8年は下請けとして働かせていただきました。その会社の第1棟目となる常設展示場も建てました。
下請けとは、会社から建築図面に基づいて指示されたとおりに建てていればいい、という存在です。指示どおりに建てていさえすれば、会社から仕事は回ってくるのですから、楽といえば楽ですが、それだけでは満足できませんでした。自分で納得のいく家を造りたい、自分の考え方をじかにお客さんに伝えたいという思いが徐々にふくらみ1984年(昭和59年)に有限会社日野工務店を設立しました。
1982年(昭和57年)弊社日野高一がまだ37歳のときのことです。
青森などの寒冷地では当時、家の中の温度差によるヒートショックが問題となっておりました。人間は、急激な温度変化にさらされることで血圧が急上昇、急降下します。
特に寒さが厳しくなる冬場に「ヒートショック」が起こりやすくなり、家の中の温度差がでる浴室などで入浴中に亡くなる人が増加しているということが問題視されていました。
そんな時、知り合いの建材屋さんに誘われて、いっしょに北海道へ見学に行き信じられない光景を目の当たりにして、驚きました。
見学させていただいた家の中で、子供たちが、真冬の北海道とは思えないほどの軽装で遊んでいたのです。
北海道より南の青森でさえ、真冬の寒さはかなりこたえます。半そで姿で遊ぶなど考えられないことです。ストーブをつけていても、暖かいのはそのまわりだけで、隣の部屋に移れば、冷たい空気が肌に触れて震えるのが普通でした。それが、当時の実情だったのです。
ところが、北海道に行って、初めて見学した「高断熱・高気密」の住宅は、厳しい外の寒さが嘘のような、まるで家の中にだけ一足早く春が来たような暖かさです。しかも、それだけの室温を保ちながら、40坪のその家で、一冬に使う灯油の量はドラム缶5〜6本で済むというのですから、ふたたび驚きました。
青森で、在来工法で建てた家ですと、一冬にドラム缶にして10本以上は使いますから、なんと約半分もの省エネを実現していたわけです。
真冬でも、子供たちが半そでで遊べる家。しかも、灯油の使用量が青森の半分の家。家中どこに行っても温度差がない家。そして何より家の中に温度差がない家・・・。
ここから私たちの高気密・高断熱、そして省エネ住宅への研究の第一歩がはじまったのです。
その後、青森に戻り断熱・気密の勉強をあらためて行い、試行錯誤を重ねますがなかなかいい結果がでませんでした。
壁にぶつかっていたとき、知人がこんな話を持ち込んできました。
「札幌に、ウレタンフォームという断熱材を、フィンランドと技術提携してパネル化に成功した会社がある」
その会社はウレタンパネルの製造元であり、年間に300棟も建てている会社だと知って、規模の大きさに圧倒されましたが、ともかく、その製品と工法を見たい思いに動かされ、札幌に出かけて行きました。
ウレタン断熱パネルは自社で使うために開発したもので、売ってはいないらしいとのことでしたが、その会社と連絡を取り、すぐにとんで行きました。パネルを組み込むという画期的な工法であり地震に対する強度も増すはずです。これは、断熱材の主流であるグラスウールなどの欠点を克服できる間違いのないものであると直感していました。
「年間300棟も建てる大会社の大社長が、会ってくれるだろうか」
社長とお会いするまで、正直なところ心配でした。
社長室に通されました。あいさつもそこそこに、こう切り出しました。
「社長が開発したというウレタンパネルを、ぜひ導入させていただけませんか。青森からそのお願いでまいりました」
すると、社長は、いぶかしげに小首をかしげました。
青森の住宅をもっと良くしたい。いい住宅を増やしていきたいという思い、そして、北海道で見学した高断熱・高気密住宅で、真冬にもかかわらず部屋の中で子供が薄着で遊んでいる光景を見てびっくりしたこと、灯油のドラム缶が一冬に5、6本で済むときいてふたたび驚いたこと、青森ではその倍もかかること、それだけ家の断熱に対する取り組みが遅れていることなども続けざまに話しました。
やがて、社長は姿勢を正しながら、正面からまっすぐに見つめ直し、深くうなずいてくれました。ウレタンパネル(FP工法)を導入することを、承諾してくれたのです。
1987年 「FPの家」グループ会員の第一号となりました。
ウレタンパネル工法を導入することが決まった当時、実は、すでに5棟の契約が済んでいて、あとは建てればいいだけの状態でしたが、追加料金はいっさい頂戴せずに、5棟とも全部、ウレタンパネル工法で建てました。
ウレタンパネル工法という素晴らしいものを知ってしまったからには、決して粗悪な家をつくることはできませんし、建てるからには、お客様に満足していただける家でないと納得がいかないのは大工としての職人気質でした。
今では「高気密・高断熱」の認知度はかなり上がりましたが、導入当時は見学会を開いても、「こんな気密がよくて隙間のない家は窒息する」など様々言われたものです。
その後も、四苦八苦しながらも、性能の重要性を社員みんなでお客様に語りました。
以来、今日まですべてウレタンパネル工法で建てています。
1993年には、社名を日野建ホーム株式会社とし、今では青森市内を中心に当社で施工したウレタンパネル工法の住まいは840棟(2010年現在)を超えました。
私たち社員は、建てられたオーナー様からの満足の声をモチベーションに変え、今も性能の重要性を語り続けています。
現在では、さまざまな工法による高断熱・高気密住宅が開発されていますが、いまだウレタンパネル工法を超えられる技術はないと思います。
この工法がなければ日本の住宅、そして青森の住宅性能はここまで発展していなかったでしょう。
ウレタンパネル工法は住宅の躯体でしかありません。
もっともっと地域の方に喜ばれる住まいをつくるには、時代と共に変化する住まいのニーズにスピーディかつフレキシブルに対応していかなければなりません。
そうした考えのもと、オール電化住宅や太陽光発電システムなどの省エネ住宅には、いち早く取り組んでまいりました。
青森での先駆けた取り組みと実績が評価され、2009年には「ハウス・オブ・ザ・イヤー・インエレクトリック」にて東北では初めて大賞を受賞しました。
私たちが取り組んできたことが公の場で認められたことを嬉しく思います。
今後も、私たちは様々なノウハウを吸収して成長していきたいと考えます。
現在、安心・安全な健康住宅のノウハウを青森にも広めたいと考え取り組んでいる「無添加住宅」もその一つです。
お客様とそのご家族が家を建てることによって、その後の暮らしがもっと豊かになってほしいと考えております。
そのためにも、私たちは常に進化をしより喜ばれる家づくりに取り組んでまいります。